信仰の起源に戻る

 私たちミラノ外国宣教会の6人の司祭は司祭研修会のため5月14日から17日まで長崎と平戸島へ巡礼に行ってきました。私たちはそれぞれの国から日本の教会に派遣されています。福音宣教をよりよく行うためには、神学校で勉強したことだけ十分ではありません。現地の言葉、文化、習慣などを学ぶのも非常に大切だと思います。特に、日本の場合はキリスト信者がそれほど多いわけではないので、福音を宣べ伝えるのも非常に難しいと思います。しかし、宣教活動の主人公は聖霊なので、心配していません。神は日本のためそして日本人のため何か偉大なことを考えておられるでしょう。

 今回の私たちの旅は、やはり「日本の信仰の起源に戻る」ことでした。福音の種が「泥沼」と言われた地に落ちて、何倍もの実を結んだことは現実です。聖フランシスコ・ザビエルの宣教から始まった教会が今も生きているということはその時代の信者の忠実さと神の慈しみ愛であるというほかありません。毎日祈り、試練や迫害の中も堅い信仰を持って、代々イエスの命と愛に養成したことではないでしょうか。宣教師と人々の間で言葉が通じなくても、福音に命を捧げていく勇気が伝えられました。ですから、200年以上もの間、長崎の周辺の島々に信仰が生きていたのでしょう。

 私たちはこの四日間、その島々の教会をめぐり、信者の信仰の名残を体験して、非常に驚きました。

 2日目に長崎教区の大司教様のお話を伺いました。一時間のお話で、長崎のキリスト教の歴史、原爆の前と後の長崎の姿、そして、現在の教区の状況の説明を受けて、私たちは心に深い印象を受けました。

 研修会は信仰や宣教の意識を新たにしたばかりでなく、私たちの間の交わりを強める期間でもありました。平戸島のおいしい料理、そこに住んでいらっしゃる方々のおもてなしと優しさに養われて、帰るときにはこれから教会のため働く動機がより明確になったと思います。

 聖パウロのコリントの教会に書いた、「主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです」(1コリント9章14節と16節)だという言葉は次回の研修会までの励みの言葉となっています。

ロールド・ザビエル神父
ミラノ外国宣教会

カトリック長崎大司教区の大司教館にて、長崎教区の大司教様と共に