イエスは言われた「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」。
(マルコ16・15)
イエスは、私たちが受けた福音を他の人にも伝えるようにと呼びかけています。福音の喜びを伝えるのは洗礼を受けた全ての人の責任だと、教皇フランチェスコは回勅「福音の喜び」で思い出させてくださいます。特に、10月は宣教活動のために捧げられています。今月、私たちの信仰の意識を呼び覚ますように呼びかけられています。すなわち、私たちは皆、宣教活動に呼ばれているということです。
今日、私はインドにおけるミラノ会の宣教活動についてお話ししたいと思います。まず、インドにやってきた宣教師のこと、次にミラノ会の働き方をご紹介して、そのあと私が出会った宣教師から学んだことについてお話ししたいと思います。最後に私の村の人々の信仰と私がミラノ会に入った理由についてわかちあいたいと思います。
インドでのミラノ会の到着と歴史
まず最初に、インドでのミラノ会の歴史をお話しします。
「全世界に行って、全ての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」と命じたイエスの言葉に従って、ミラノ会の神父様たちは1855年にインドにやってきました。まず、ボンベイの港に着いて、そのあと彼らは牛車でハイデラバードに行きました。ハイデラバードは南インドにある大きな街で、私の故郷です。インドではその宣教師の到着のことを「牛車の宣教師」と象徴的に言い表しています。最初の宣教師は、ドメニコ・バルベロ神父様とフランチェスコ・ポッツィ神父様です。ドメニコ・バルベロ神父様は1870年にハイデラバードの最初の司教になり、もう一人のフランチェスコ・ポッツィ神父様はベンガラにあるクリシュナガルの最初の司教になりました。この二人の宣教師はインドで他のミラノ会の宣教師のために扉を開きました。ミラノ会の宣教師は重点的にテランガナとアンドラ・プラデーシュという州で働きました。彼らはインドで13の教区を設立しました。そのうち6教区はテランガナとアンドラ・プラデーシュ州にあります。多くの宣教師は今バングラデシュの一部となっているベンガラで働きました。2005年にミラノ会はインドで創立150年のお祝いをしました。
ミラノ会の宣教師が作った教区や教会のお世話を地元の教区の神父様方にお願いして、今新しい宣教活動を模索しています。その結果、今ではバングラデシュの近くにあるバゴグラという教区でトライバルの人々と共に働いています。北インドのラージャスターンという州でも働き始めました。
宣教活動のやり方
次に、現在のインドでのミラノ会の宣教師の活動のやり方についてお話ししたいと思います。ミラノ会の宣教師は福音を伝えながら、人道的活動も行いました。人々の必要を察知して、学校や病院などを建てました。それは単なる社会福祉事業だけではありません。それは福音の宣言の要となるものです。イエス様が会堂で読んだ預言者イザヤの箇所からもよくわかります。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」とあります。ここでイザヤが言っているように、福音を伝えるとは、ことばだけではなく、自由や健康、喜び、知識をもたらすことです。ですから宣教師の中にはハンセン病患者に奉仕することに自分の人生を捧げてきた人がいます。そのなかの一人はルイージ・ペッツォーニ神父様です。彼は私が生まれたナルゴンダという教区で働きました。その他にカルロ・トリアーニ神父様もいます。彼はボンベイでハンセン病患者のためにホームを作りました。そのホームの名前は Swarga Dwar で、天国への扉という意味です。そのホームではいろいろな宗教の人々が兄弟姉妹として共に暮らしています。
その他にも子供や青年のために働いた宣教師もいました。そのうちの一人はオーガスティン・コロンボ神父様です。彼は小学校から大学まで作りました。彼は素晴らしい仕事をしましたが、自転車で走り回っていて、車やバイクを使ったことはありませんでした。私はその3人の神父様の宣教活動を見ましたし、実際にその神父様に会う機会もありました。私はその神父様の生活の単純さに感動しました。ミラノ会の宣教師の活動はみんなに尊ばれてきました。なぜならその宣教師は地元の教会の成長のために働いたからだと思います。インドでのミラノ会の宣教活動の精神は、教会を作って、その教会の人の信仰が成長した後、地元の教区(教会)に渡すことです。13教区を作ったミラノ会は、今、三つの教会で働いています。
私のふるさとの話
私が生まれ育った村の教会もミラノ会の宣教師の実りです。宣教師たちは100年ほど、私の教会で働きました。その宣教師の活動の実りを今はっきりと目にすることができます。私の教会から20人以上の神父とたくさんのシスターや修道士が出ました。私の村ではエリア・カシラギという神父様が40年も働きました。彼はみんなの信仰の成長のために休みなく働きました。彼は皆に愛されていて、亡くなった後もその教会の近くに共にいることを望んでいました。だから、その神父様のお墓を教会に建てました。私が生まれる一年前、すでにその神父様は亡くなっていたのですが、私は子供の頃からその神父様についてたくさんの話を聞いてきました。それは私がミラノ会の神学校に入る理由の一つかもしれません。PIMEの宣教師の働き方に惹かれて、私も宣教師になりたいと思って2004年に神学校に入りました。神学生の時、宣教師の話や経験を聞かせてもらうと胸が高鳴ったものでした。その後、ミラノ会で宣教師になりたいという望みが私の中にしっかりと根を下ろしました。2018年、日本への派遣が知らされました。日本に来る前は困難を感じて怖かったのですが、今ではイエスの福音を伝えるために必要な力は神様からいただけると信じています。
私たちも日常の中で福音を伝える責任があります。日常とは、家庭の中で、職場で、町の中で、レストランや電車の中で、イエスの生き方を生きること、必要ならばことばも使って、イエスの福音を伝えていくことだと思います。どうやってその活動を行うか心配する必要はありません。なぜなら、私たちは福音を伝えるために必要な力を神様からいただくからです。
カトリック・ミラノ外国宣教会
パヴァン・マルネ二
2021年10月3日